– Behind The Scenes『大人になること』:Travessia ―ほんとうのことは。

 7月14日はフランス革命記念日。そして私の新刊『大人になること』の発売日。おめでたい日ではあるけれど、著者の私には書籍へのサイン入れ以外、これといってやることがない。
 すべてがいつも通り。5時半に犬に起こされ、餌やり、(犬の)トイレの掃除、自分の朝食、身支度を整えたら、ロンの幼稚園の迎えが来るまでコーヒーを飲みながら本を読む。上岡伸雄著『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ』、読了。

 夜は、オフィスのスタッフとともにYEBISU GARDEN CINEMAへ、ドキュメンタリー映画『ビトゥーカ ミルトン・ナシメント フェアウェルツアー 』を観に行った。
 実を言うと、この作品はオンライン試写で鑑賞済み。6月の初め、単行本の制作作業が私の手を離れた夜、ひとり仔犬のレオを抱き、デスクのモニターで視聴した。9ヶ月に亘る執筆生活、やっと終わったという解放感を噛み締めながら。

 ブラジル音楽の伝説的シンガーソングライター、ミルトン・ナシメント。『フェアウェルツアー』というタイトルが示す通り、カメラは、齢80を数え、引退を決意した彼の最後のワールドツアーを追う。本編中、本人の談話は決して多くない。その代わり、彼を知るひとびと、57名(!)による語りが、彼の半生、音楽と精神性、その魅力と偉大さを照らしていく。

 ミルトン・ナシメントの音楽は若い頃から聴いていた。90年代の東京には、プレイにブラジル音楽を取り入れるDJが大勢いたから、私だけでなく、当時クラブで遊んでいたひとたちは、みな彼の歌声を耳にしていたはずだ。
 だけど、その歌詞に一度たりとも興味を抱いたことはなかった。曲のタイトルにも、彼のパーソナリティにも。理由は簡単。私がポルトガル語を理解できなかったから。
 つまり、この映画の字幕で初めて、私は彼がどんなことが歌っていたのか知ったのである。
 衝撃を受けた。
 こんなに深い詞がついていたなんて――(今作の翻訳がまたすばらしい)。

幾千の橋を渡ってきた
何かほんとうのものを求めて
大きな吊り橋もある
蜘蛛の巣のような橋が

今日が明日への橋を渡っていく
私はいつもよそ者で
ずっとひとりだった

「Travessia」

 労働が歌われ、孤独が歌われ、人生が歌われ、差別が歌われ、抑圧された自由が歌われる。出会い、別れ、郷愁、希望も。
 ブラジル→サンバ→陽気といった安易な連想をもとにお気楽に聴き流していた自分が恥ずかしい。繊細さも深みも硬質な輝きも汲み取れていなかった自分の幼さが。

 映画では、彼の生い立ちは断片的にしか語られない。しかし幼い頃に母を亡くし、養子として白人の夫婦に育てられたこと、その養母がヴィラ=ロボスの教え子だったというのだから、驚きだ。養父はショパンやモーツァルトを聴けと言ったが、ミルトンはヴィラ=ロボスが聴きたくて仕方がなかった、と述懐する。どこか品の良さが漂う佇まい。ヴィラ=ロボスとミルトン・ナシメントをつなぐ、そのエピソードだけでも腑に落ちるところがあまりに多い。

 養子に迎えた息子に車椅子を押されながら、ミルトンは語る。

ほんとうのことは出発にも到着にもない
旅の途中に現れる

「!」
 その言葉に、脱稿したばかりの私は息を呑む。
 私の新刊『大人になること』は400ページを超える。
 本が厚くなれば価格も上がるし、その厚さに敷居の高さを感じてしまうひともいるだろう。出版社から、もっと手に取りやすい形で、と言われても仕方がないと覚悟していた。だけど、その厚さが私は必要だと思った。エッセイの収録本数を減らし、さらりと読める本にする方法もあるけれど、それでは迷いながらの歩みだったことが伝わらないのではないか。私が書きたいのはいつも、結論ではなく、結論までの過程なのだから、読み手にも一緒に迷路を辿ってもらいたい。そのためのボリュームだと説明する私に、編集者Sさんは、わかりました、長谷部さんのやりたいようにやってみましょう、そう言ってくれた。そのとき見せてくれた笑顔を思い出す。

 『ビトゥーカ ミルトン・ナシメント フェアウェルツアー 』は、最盛期の美声を記録した映画ではない。人生の幕を引こうとするひとりの人間の姿を記録した映画だ。人間の命には限りがある。当たり前であると同時に、その当たり前を我が身に引き寄せて考えさせる映画でもある。昨年亡くした義母のことを考える。

 映画のラスト近くで歌われる『Encontros e Despedidas』。その歌詞が私の胸に迫る。

何よりもいいのは
あてもなく旅立てること
もっといいのは
帰りたいときに帰れること

「Encontros e Despedidas」

 腕の中のレオをぎゅっと抱きしめる。レオの高い体温。そのぬくもりが私の心を温める。レオがいま、腕の中にいてくれて良かった。この温かさが、零れ落ちそうな涙をかろうじて堰き止めている。
 ずっと「何よりもいいのはあてもなく旅立てること」だと思って生きてきた。けれど、「もっといいのは帰りたいときに帰れること」という言葉に、そうかもしれない、と感じるようになった自分がいる。帰りたいときに帰れる自由があるということ。帰りたいと思える場所があるということ。

 映画館でもう一度観たいと思ったのは、この映画の映像が美しかったからだ。ライヴの模様だけでなく、山々の緑、古い町並み、彼の故郷ミナス・ジェライスを大きなスクリーンで堪能したかった。
 ミルトン・ナシメントで踊っていた20代にこの映画を見ても、私はこれほいど揺さぶられはしなかっただろう。人生という航海を続け、その終わりが近づいて初めて見える景色がある。
 映画館を出て、同行していたスタッフに「『大人になること』って感じだったでしょ」と声をかける。彼らも静かにうなずいていた。

長谷部千彩

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